故大平元首相の孫の渡辺女史「中日の理解増進が使命」

2019-01-24 14:17  CRI

圖片默認標題_fororder_C

 改革開放40週年を祝う式典が行われた先月18日、改革開放に貢獻した外國人10名に友誼の勲章が授與されました。そのうちの1人が、中日両國の國交正常化を推進し、中國の改革開放を支持した故大平正芳元首相です。CRIの日本駐在記者が、授與式に出席した大平元首相の孫である渡辺満子さんを先ごろ取材しました。渡辺さんは、國交正常化の歴史を振り返り、両國友好の今後の見通しを語りました。

 大平元首相は1972年の秋、當時の田中角栄首相の中國訪問の際に、外務大臣として同行しました。一連の交渉を経て9月29日、両國政府は中日共同聲明に調印し、國交正常化が実現しました。渡辺さんによりますと、2人の家族はともに右翼の嫌がらせや脅迫を受けており、中國行きの飛行機に乗る際も妨害を受けたとのことです。祖父の大平元首相が両國関係の正常化推進に取り組んだ理由について渡辺さんは、第2次世界大戦中に中國で働いていたことが大きかったとしています。

 渡辺さんは、「祖父は當時、中國人に対する日本軍の橫暴な振る舞いを見て、罪の意識が生まれたのだろう。その後政治家になり、その時から日中國交正常化を考え続けていた」と述べました。

 大平元首相は、改革開放40週年の記念式典で、中日國交正常化を推進し、中國の改革開放を支持した政治家として、勲章が授與されました。

 渡辺さんはこの式典の場で、「國交正常化した1972年はまだ10歳だったが、よく覚えている。それから、パンダのカンカンとランランがやってきた。日中友好ムードでものすごく盛り上がっていた。その時に、大きくなったら何か日中の間で仕事ができたらいいなと思った。今回、祖父が改革友誼勲章をいただいたので、人民大會堂に行き、中國側の代表100人と、外國代表の10人が一緒に寫真を撮って、とても光栄でうれしかった」と話しました。

 渡辺さんは大學を卒業した後、テレビ関係の仕事をし、幾度も中國に関連した番組を手がけました。今は日中映畫祭実行委員會の副理事を務め、上海國際映畫祭で日本映畫をアピールし、また東京國際映畫祭では中國映畫をアピールしています。大平元首相の孫として、両國の相互理解や若者交流の促進が使命であると考え、両國が向き合って歩むことを期待しています。

 渡辺さんは、「祖父は、中國と日本は生活習慣が全く違うと言っていた。だから理解し仲よくするためには努力が必要だと。國が違うので、全部一緒ということはないが、できることは一緒にやっていきたい。それは文化だと思う。分厚い文化交流は何よりも必要だと思う」と述べました。(殷、森)

ラジオ番組
10月29日放送分
00:00:00/00:00:00
  • ハイウェイ北京<月曜日>の擔當者 劉叡琳_fororder_週一劉睿琳130
  • ハイウェイ北京<火曜日>の擔當者 王小燕&斉鵬_fororder_週二小燕齊鵬130
  • ハイウェイ北京<水曜日>の擔當者 謝東&劉非_fororder_週三謝東劉非130
  • ハイウェイ北京<金曜日>の擔當者 劉叡&孟群_fororder_週四劉睿孟群130
  • ハイウェイ北京<金曜日>の擔當者 任春生_fororder_週五任春生130
  • ハイウェイ北京<週末篇>_fororder_北京直通車週末篇
特集ダイジェスト
最新コラム
新華社_fororder_12日中友好協會_fororder_11人民網日本語版_fororder_10人民中國_fororder_9中國網日本語版_fororder_8東方網日本語版_fororder_7JAPAN online_fororder_5
UTYテレビ山梨_fororder_4中華網日本語版_fororder_3東方通信社_fororder_2中國百科検定_fororder_132959111934859451北京観光_fororder_1
王帥