北京
PM2.577
23/19
聞き手:王小燕
中山孝蔵さん。先祖は江戸時代から東京で暮らし、本人は江戸川區生まれの東京育ち。高校時代からアマチュア無線で北京からの電波をキャッチしたことが、中國と直に觸れた最初の思い出となりました。とはいうものの、中國との縁がとくに深いものでもなく、後にグローバル企業で品質管理の仕事についた中山さんは、1999年末までに中國を訪れることはありませんでした。
それでも、世の中が21世紀の玄関口にさしかかる頃に、変化が中山さんの周りにも少しずつ押し寄せてきました。1998年頃、中國向け製品の認証業務に攜わったことが縁で、中山さんは翌99年末、出張で初めて中國を訪れました。
當時の日本では、海外勤務地としての中國というと、暮らしが不便な途上國というイメージが先行して、歐州やアメリカほどに人気がありませんでした。そんな中、「中山、お前北京へ行ってくれ」と言われた一言に対して、「その場で斷らなかった」ことがきっかけで、2000年4月から第一回目、4年間にわたる中國駐在が始まります。このようにして、日本の「企業戦士」としての中山さんは、中國との長いお付き合いの第一歩を踏み出しました。
中山さんが日中國交正常化45週年記念に作成したアマチュア無線の交信証
それ以降、中山さんは2019年4月の本帰國までに、通算16年半もの歳月を中國で過ごしていました。「CRIインタビュー」では、これまでにはアマチュア無線の愛好家という視點に著眼して、中山さんに何度かお話を伺ってきました。今回は視點を変えて、16年半にわたった中國生活の卒業を目前に、中山さんに中國と共に歩んだ歳月を総括してもらいます。
2008年、「鳥の巣」をバックにアマチュア無線特別局の運用メンバーとの記念寫真
外國人生活者としてこの間、中國で実感したことや、「中國と日本の4千年の間で、日本が進歩していたのはここ百年ちょっとの間だよ」とあいさつ回りの際に、いきなりこの言葉を言われた時の心境とその後に感じたこと、「北京と上海、どちらが好きですか」という良く聞かれる質問への答え…中國人と日本人が一緒にいれば、良くぶつかるであろう數點の「名場面」に対し、中國生活のベテランとして、中山さんはどうやり過ごしてきたのかなどなど、たっぷりお話を伺ってみます。
その上、仕事と趣味と勉學の心をめぐり、中國で受けた良い刺激を自分自身の體にどう投影したのか、あるいは、本帰國の日にちを「5月5日がリミット」と決めた理由とは何かをめぐり、その謎を一つずつ解いてみます。今回は、一會社員として、または、一人の夫として、アマチュア無線の愛好家として、そして、何よりも一人の人間として、中山孝蔵さんの実踐を通して、精彩に富んだ生き方をするコツに迫ってみます。ぜひお聴き逃しのないように。
【プロフィール】
中山孝蔵(なかやま こうぞう)さん
東京都江戸川區生まれ、66歳。大手電器機器メーカーでの勤務を経て、中國日本商會事務局長補佐。
高校時代からアマチュア無線を開始して、現在も継続している。2000年から初めての中國駐在から、2019年4月まで通算、16年半北京、上海、無錫などで過ごす。2019年5月に本帰國して、現在は家族と共に東京で暮らす。
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