北京
PM2.577
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この間、中國園蕓協會が、中國の花に関するアンケート調查の結果を発表しました。これによりますと、一番の人気を集めたのがボタンで、2位がウメ、3位がランでした。中國では、國を代表する花がボタンかウメかで議論が続いています。今回の中國メロディーは、中國の花に関するお話と音楽をお伝えしましょう。
清朝末期の國花~ボタン~
世界各國にはだいたい、その國を代表する花があります。例えば、日本は言うまでもなく桜ですね。ギリシャのオリーブも有名ですし、フランスのアイリスも愛らしい花で、エジプトのスイレンはその悠久な歴史を表しています。一方、中國ではボタンを思い出す人が多いでしょう。ボタンは、100年も前の清朝末期に、中國を代表する花と定められました。そんな上品で美しいボタンは、國が繁栄し盛んになり、人點の生活が幸せで縁起が良いことを象徴し、百花の王と昔から讃えられています。
日本では、花見といえば桜のことですが、昔の中國では花見はほぼボタンのことです。唐の時代の詩人・白楽天は「花開花落二十日,一城之人皆若狂(花が咲いてから散るまで20日間、街の人は皆狂うが如し)」とうたい、長安の人點がこぞってボタンを見に押し寄せる情景を描きました。この詩を見て、當時の中國でもボタンが大変に愛されたことがわかります。
そんなボタンが、20世紀の初め、つまり清の末期と中華民國の初めに中國の花とされたのは當然のことでしょう。
中華民國の國花~ウメ~
中國では、ボタンはその豪華な姿から「百花の王」と讃えられ、さらに國を象徴する花とされました。しかし、1920年代末の北伐戦爭の後は、冬の寒さを恐れず吹雪の中でも凜點しく咲くウメの姿が、中華民族の強靭な精神を表していると思われるようになっています。當時、中國財政部は新しい通貨を発行するにあたり、花をデザインしたものにしようとして、當時の國民政府に代表的な花を決めるように求めました。國民黨中央宣伝部は各界の意見を參考した上、ウメの花に決定しました。
當時は、ボタンについては「あまりの美しさで現実の暮らしを忘れてしまい、快楽主義を代表するものだ。外國に侵略されて國が危うくなっている今、中國人の品格を表し切れない」と考えられていました。
こうしたことから、ボタンでなければ中國の花はやはり梅、と考えられるようになります。1949年に新中國が成立した後、花に関する論爭はしばらく中斷しました。その後、1983年に中國植物學會が「中國を代表する花は何か」というアンケートを行いました。その結果、一番人気はウメ、2番目がボタン、3番目がキクでした。ウメを支持した人は「春の便りを象徴しており、寒さの中で凜と咲く気高さは、數千年にわたって強じんでゆるぎない中華民族の強さを代表するものだ」と主張しました。
ボタンとウメ、中國の國花は二つ?
國を代表する花は民族精神の代表であると言われています。それはボタンであると、中國人は昔から考えていました。しかし1930年代、ボタンはあまりに華麗すぎて革命を迎えた當時の中國にふさわしくないとして、ウメを代表の花としました。厳しい寒さに凜と咲くウメだけが、列強の侵略をはねのけ、近代化へと歩む當時の中國にぴったりだったのでしょう。
中國民族の性格には、ウメの品格も備わり、またボタン の特性も持っています。忙しい生活の中ではもちろんウメのような強さが充分に現れますが、記念日を楽しむときには、隠されたボタンらしさが現れるのです。この二つの花は、中國人の多面性を象徴し、また中華文化の奧深さを表現しています。それで、ウメとボタンは共に中國の花だ、という聲が徐點に高まっています。
番組の中でお送りした曲
1曲目 牡丹謡(ボタンの歌)
歌詞:
幾重にも重なる花びら
過去の歳月を綴り
千年の長い歴史
悲しみはまだ心に殘る
2曲目 踏雪尋梅(雪のウメ探し)
この曲は「夜貓子(ふくろう)」という四人組の女性バンドが歌ったもので、晴れた日に子供たちが雪の中でウメの花を楽しむ場面を描いています。
3曲目 大地飛歌(大地を走る歌)
この曲は、中國音楽界のソプラノ歌手・宋祖英が歌ったもので、澄み切った歌聲が多くの人點に愛されています。
歌詞:
山道を歩き山の歌を歌う 網を張って漁の歌を歌う
牧歌を歌うほど牛やヒツジが集まり 夜空の星より多くなる
ボタンが咲き花の歌を歌う ライチは赤くなり甘い歌を歌う
楽しい歌で友情は長く 劉三姐の家の前の川より長く