北京
PM2.577
23/19
聞き手:王小燕、梅田謙
2016年5月、ブルースのルーツを探す旅でメンフィスを訪れた虎子さん
今週も引き続き、ブルースにぞっこん惚れ込んだ虎子さんにお話を伺います。
先週は日本語、そしてブルースとの出會いを中心に、謎めいた虎子さんの肖像畫を極荒いタッチで描いてみました。
子どもの時、祖父の島で育った虎子さんは大學で日本語を専攻したことをきっかけに、日本語/日本人の友達を介してブルースの世界に深くはまりこんでいきます。大學では、自己流の學習法で日本語能力試験1級に早點と合格した後、卒業することなく上海にある日本の大手商社に就職。8年間の商社マン人生で社會経験を積み、上司や仲間からも厚く信頼され、大きなプロジェクトも多くこなしていました。が、突然體調を崩し、人生について深く考えこむようになります。結論は、「商社マンを卒業して、これからの人生はブルースと共に歩む」ことでした。
進路で悩んだ時、虎子さんが思い出した相談相手になれる人がいました。その人とは、シカゴを拠點に20年以上活動していた伝説的なブルース・ギタリストの菊田俊介さんのことです。ヒーローとして崇めてきた存在ですが、知り合いというわけではありませんでした。とにかく、當時東京にいた菊田さん宛てに、「ぜひ上海へ演奏に來てほしい」というメールを出しました。當時の上海は「人口2000萬人の大都會ですが、ブルースを聞いたことのある人は數百人程度に過ぎない」と言われているほど、ブルースはマイナーなジャンルでした。
そのお誘いのメールで菊田さんは本當に來てくれました。虎子さんは自力でコンサートツアーを企畫。ツアーを通して菊田さんと親交を深め、人生の進路について相談に乗ってもらったところ、言われたアドバイスは、「好きならとことんまでやれ」でした。
2015年冬、28歳になる虎子さんは人生の新しいステージに向かって旅立ちます。上海で仕事を通して築いた人間関係に別れを告げ、音楽仲間がたくさんいる北京に拠點を移しました。その翌年、彼はどうしても行かなければならないという聖地巡禮の旅に向け準備を始めました。
ブルースマンの聖地であるシカゴで、6月に開かれる、大型ブルースフェスティバルをめざして、虎子さんは音楽仲間2人と共に、ブルースのルーツを探す旅に出たいと思っていました。レンタカーを借りて、約1か月半にわたる大旅行でした。行った先點で、三人はギター一つでジャムセッション(協調的即興演奏)に加わり、「今思い出しても夢のような毎日」でした。しかし、「ビザ申請から入國手続き、交通に至るまで、ハプニング連続の旅路でした」、と今でも苦笑いするような出來事も多かったようです。
2016年5月~6月、米國でブルースのルーツを探す旅をしている最中の「布魯斯三兄弟」、
左から虎子さん、魏威さん、王錚さん、ミシシッピにて
ところで、虎子さんの日本語力はアメリカを旅行した時にもパワー全開でした。シカゴでは、その後の彼のブルース人生を大きく変えた大物ミュージシャンと出會えました。いや、正しくは會いに行って會えたのでした。そのミュージシャンとは、京都生まれで、シカゴを拠點に活躍し、のちに「シカゴブルースの殿堂」入りしたミュージシャンのアリヨこと有吉須美人さんのことでした。
「こんにちは。北京から來ました」
挨拶した日本語の一言が魔法のようでした。そこから、有吉須美人さんの初めての中國訪問に続き、三度のグラミー賞ノミネート歴を持つシカゴ・ブルース・ハーモニカ・マスターのビリー・ ブランチさんの中國ツアー……次から次へと化學反応が起きています。その化學反応により、虎子さんとアリヨさんの絆だけではなく、ブルースにぞっこんな中國人若者と本場のブルースの世界との間でも太くて強い絆が結ばれました。その絆は現在も続いており、來年以降も様點な予定が計畫されているようです。虎子さんと仲間たちが2016年に敢行したブルースの旅、ある意味、中國のブルース音楽史、またはブルース音楽の世界史に殘る旅と言えるでしょう。(寫真提供:虎子)
【プロフィール】
虎子(ショウ・フー)さん
1987年遼寧省営口市生まれ。大連外國語學院中退。キャノン杯日本語弁論大會で優勝。上海に拠點を置く日本の総合商社で8年間勤務した後に、辭職して北京に移る。現在はブルースを広めるための活動を中心に活躍。
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