北京
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湖北省武漢市で新型肺炎・COVID-19(コビッドじゅうきゅう)の発生が明らかになってから間もなく、日本からマスクやゴーグル、防護服などの支援物資が屆けられました。これら支援物資は日本の関係団體や友好都市からのもので、それらが入った箱に書かれていた「山川異域 風月同天」など中日の絆を示す文字が中國のネットユーザーたちを感動させました。
山川異域,風月同天
まず、中國の人點を感心させたのは、中國語検定試験「HSK」の日本事務局が湖北省の大學などに送った支援物資の箱に書かれていた「山川異域,風月同天」です。
これは中日の仏教交流史上の逸話に由來するものです。唐王朝の全盛期、日本からは仏教を學ぶために多くの僧侶が派遣されました。その際、日本の長屋王が1000著の袈裟を縫わせ、唐の高僧への贈り物として持たせました。その袈裟の縁に刺繍されていたのが、この言葉
山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結來縁
別點の場所に暮らしていても、自然はつながっている。この袈裟を仏弟子である皆さんに贈ります。共に來世での縁を結ぼうではありませんか。
これは偈頌と呼ばれる、仏の功徳を説く詩の形式で、四句からなるのが一般的です。この偈頌は『全唐詩』の中にも「繍袈裟衣縁」という題で収録されました。仏教界のみならず、中日間の交流史においても名高いかの「鑑真和尚」は、この詩に感動したことがきっかけで日本に渡ることを決めたと伝えられています。
この詩は中日友好のシンボルとして、江蘇省揚州市の大明寺、鑑真記念堂前の石碑に刻まれています。
豈曰無衣,與子同裳
日本の中國企業フォビジャパン株式會社が武漢の最前線にいる醫療関係者に寄付した3300著の防護服と6000足のシューズカバー、その段ボール箱に書かれていた言葉「豈曰無衣,與子同裳」です。
この句は『詩経・秦風・無衣』に由來するものです。中國の戦國時代において、秦の國の兵は勇猛なことで知れ渡っていました。その強さの秘訣は一人一人の結束にあったと言います。この詩はその結束の固さを歌ったものです。
「豈曰無衣,與子同裳」という句は、詩の三段目の冒頭の一部です。
豈曰無衣?與子同裳。王于興師、修我甲兵。與子偕行
豈に衣無しと曰い、子と裳を同じうせんや。 王于きて師を興こさば、 我が甲兵を修め、子と偕に行かん
衣がないなどというのはやめよう、お前と一緒にこのどてらを共有しよう、王が軍隊をお出しになる、いざ我らの甲や武器を手入れして、お前と一緒に進軍しよう
青山一道同雲雨、明月何嘗是両郷
京都の舞鶴市が遼寧省の大連市に寄贈した醫療物資のダンボールに書かれていました。
この2つの句は、唐代の詩人・王昌齢が書いた送別の歌、『送柴侍禦』に由來するものです。
沅水通波接武岡 送君不覚有離傷
青山一道同雲雨 明月何嘗是両郷
沅水の波は武岡に通じ、君を送り思わず感傷あり、青山も雲雨も共に見え、月も2つに別れはしない
離れていても、同じく山があり、雲に陰り、雨に潤い、同じ月の下にいる私たちが、どうして別れていると言えようか
つまり、心は一つであるという意味になります。
遼河雪融,富山花開;同氣連枝,共盼春來
富山県から遼寧省大連市に寄贈された1萬枚のマスクが入った段ボールに書かれていた「遼河雪融,富山花開;同氣連枝,共盼春來」は元點ある漢詩そのままではなく、アレンジされたものです。
「同氣連枝」は古文の『千字文』に由來するもので、同胞の兄弟という意味です。「共盼春來」は春を待ち望む人點の心情を表すもので、民謡の『九九消寒図』から來ています。遼河とは、遼寧省を流れる川のことです。この句は「遼寧の雪が解けたら、富山の花もきっと咲く。兄弟姉妹のような私たちは、一緒に春を待ち望もう」という意味になり、一日も早く新型肺炎の流行が終息するようにという、富山県の人點の願いが込められています。ちなみにこの句は2017年から富山県で働いている遼寧省出身の孫肖さんが考えたものだそうです。(ヒガシ)