北京
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1971年3月、桜満開の名古屋。この地で開かれる第31回世界卓球選手権大會に、日本卓球協會の招きに応じて、中國から代表チームが參加しました。
當時の世界はまだ冷戦の真只中。中國にとっては、外國開催のスポーツ大會に6年ぶりの出場です。
「地元の愛知で開催される世界卓球選手権を世界一の大會にしたい。そのためには、最強の中國チームの參加は不可欠です」
そう決意をしたのは、當時の日本卓球協會會長で、愛知工業大學學長だった後藤鉀二氏でした。秘書の小田悠祐さんによりますと、後藤會長は兵役で中國に赴いた過去の體験から、「中國人民に対し、筆舌に盡くしがたいご苦労をかけた」「中國のために盡くしたい」という熱い気持ちがあったことも背景の一つでした。
1971年1月、周恩來総理と握手する後藤鉀二會長(中國駐名古屋総領事館の記念ビデオから)
しかし、當時の中國と日本はまだ外交関係がなく、中國から代表チームを招くのは至難の業でした。そんな中、日本から北京を訪れた後藤會長一行4人を受け入れて心のこもった対応をし、一旦暗礁に乗り上げた會談を、柔軟な姿勢で対応するよう実務擔當者を諭した人は、中國の周恩來総理でした。
大會期間中、中米選手同士の偶然の交流がスタートとなり、大會最終日に、「アメリカチームの中國訪問」が発表され、世界を驚かせました。その訪問がきっかけになり、キッシンジャー米國務長官の極秘訪中や、中國の國連復帰、ニクソン大統領の訪中、中日國交正常化、中國の國際オリンピック委員會(IOC)復帰など一連の歴史的大事件が立て続けに起きました。
のちに「ピンポン外交」として知られるこの一連の出來事から50年過ぎました。先週、名古屋市內では、第31回世界選手権大會の會場だった愛知県體育館で市民參加の卓球の交流試合が開かれ、翌日には、「溫故知新 ピンポン外交が導く未來」と題して、「ピンポン外交」の歴史的意義を振り返るシンポジウムが開かれました。このシンポジウムはリモートでの參加も含め、約300人が出席しました。
シンポジウムで発表された內容について、今週と來週の番組で音聲にてご案內します。
左から小田悠祐さん、竹內敏子さん、杉本安子さん
今週はピンポン外交に実際にかかわった方たち──後藤鉀二會長の秘書で、1971年年初、後藤會長と共に北京に赴いた小田悠祐さん、第31回世界選手権大會に出場し、団體種目で金メダルを獲得した元日本代表の竹內敏子さん(中京大學 名譽教授・東海學生卓球連盟會長)、杉本安子さん(元愛知工業大學卓球コーチ)のお話を抜粋してお屆けします。
半世紀前に何が起き、何を學び、それが今の世界情勢に置かれている中國と日本にとって參考になることは何か、リスナーの皆さんと一緒に考えることができればと思います。
【リンク】
ピンポン外交から50年、名古屋で記念シンポジウム
ピンポン外交から50年、今の時代にも重要な示唆=孔鉉佑大使
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