米日中三國に愛された「送別歌」

2021-11-14 11:25  CRI

00:00:00
00:00:00

米日中三國に愛された「送別歌」

 「旅愁」は多くの日本人にとってすっかり日本の歌として親しまれていますが、実はこの歌は米國の音楽家ジョンオードウェイの「家と母を夢見て」の日本語カバー曲です。20世紀初めに日本で留學した中國人音楽家・李叔同がこの歌を中國語の詞に訳し、中國でも広く伝えられました。今回の中國メロディ─は米、日、中3カ國の人點に愛されるこの歌をご紹介しましょう。

誰もが知っている「送別歌」、米國から來た望郷曲

 私がこの歌に初めて出會ったのは、1983年に公開された映畫「城南舊事(北京の思い出)」がきっかけでした。映畫と映畫の主題歌がとても美しく、當時印象深かった記憶があります。物語は純真で素樸な子供の主人公の視點で、民國時代の北京の風土や人情を回想しています。主題歌の「送別(送別歌)」のメロディーは、映畫のノスタルジックで感傷的なテーマとよく合っていて、今でも忘れられません。

 この「送別(送別歌)」はもともと、ジョン・オードウェイが19世紀50年代に作った故郷や親を思う歌で、南北戦爭中にアメリカで広まりました。その後、1907年に日本の詩人である犬童球渓(いんどう きゅうけい)がこの歌を日本語に訳し、日本の音楽教科書で取り上げられました。また當時、日本に留學していた音楽家の李叔同は日本語版のこの歌に深く感動したのでした。

 李叔同がこの曲に中國語の歌詞を付けたことには、こんなエピソードもあります。雪が降りしきる冬の日、舊友がやって來て李叔同に別れを告げるため、涙を流してこう言いました。「叔同君、うちは破産した。また會おう」遠い友人の後ろ姿を眺めていた李叔同は耳に「旅愁」の哀しいメロディーが響いているようでした。そして次のような送別の詩を書きました。

あずまやの外

古道のあぜ

青點とした草が天に連なる

一杓の濁り酒で最後の喜びを盡くし

今宵は別れる夢寒し

卒業ソングとして親しまれる「送別歌」

 今、中國では「送別(送別歌)」が卒業ソングとして広く歌われています。多くの人が子供のころを振り返りますと、この卒業ソングを思い出すかもしれません。あるネットユーザーは「小學校を卒業する時、音楽の先生が私たちにこの歌を教えてくれた。當時は歌詞の意味がよくわからなかったが、今は分かる。でも、學生時代の仲間たちとはなかなか會えなくなった」とコメントしました。

 もしかしたら、友人と急いで別れを告げた時は抱き合うこともできなかったかもしれませんが、お互いの深い思いは、いつまでも心の中に大切に殘されているのではないかと思います。

 「送別(送別歌)」は1851年に誕生して以來、アメリカから海を渡って日本に伝わり、日本を経由して中國に伝わったため、アメリカ、日本、中國を問わず、現地の人點に愛された偉大な歌と言えます。中國の有名なミュージシャンであるプーシューは、「もし僕がこのような偉大な歌を作ることができたら、たとえ1曲であっても、死んでも悔いはないだろう」と話したことがあります。

 偉大な音楽の魅力ははかり知れないものがありますね。

ラジオ番組
10月29日放送分
00:00:00/00:00:00
  • ハイウェイ北京<月曜日>の擔當者 劉叡琳_fororder_週一劉睿琳130
  • ハイウェイ北京<火曜日>の擔當者 王小燕&斉鵬_fororder_週二小燕齊鵬130
  • ハイウェイ北京<水曜日>の擔當者 謝東&劉非_fororder_週三謝東劉非130
  • ハイウェイ北京<金曜日>の擔當者 劉叡&孟群_fororder_週四劉睿孟群130
  • ハイウェイ北京<金曜日>の擔當者 任春生_fororder_週五任春生130
  • ハイウェイ北京<週末篇>_fororder_北京直通車週末篇
特集ダイジェスト
最新コラム
新華社_fororder_12日中友好協會_fororder_11人民網日本語版_fororder_10人民中國_fororder_9中國網日本語版_fororder_8東方網日本語版_fororder_7JAPAN online_fororder_5
UTYテレビ山梨_fororder_4中華網日本語版_fororder_3東方通信社_fororder_2中國百科検定_fororder_132959111934859451北京観光_fororder_1
黃競