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炎黃蕓術館

2015-06-23 19:13:21     cri    

    

 炎帝と黃帝、古代中國には伝説上の二人の有名な皇帝がいたそうです。民族の祖先です。この二人の名前を縮めて「炎黃」。仲間うちで、「やっぱり中國人だ」「中國人は一番さ」といったニュアンスの時に使われるようです。日本でいうなら「我こそは日本男児」というところでしょうか。先日、人民日報に中國國際人材交流基金が主催する「炎黃賞」の受賞者が決まった、という記事がありました。「炎黃」はいまの中國で脈點と生きているのです。

 今回の「博物館めぐり」は、炎黃蕓術館を訪ねましょう。北京の北、第四環狀道路の安慧橋からアジア大會選手村(亜運村)の方へ、北へ300メートルほど進んだところにあります。唐宋の時代の雰囲気を持つこぢんまりとした建物です。

      

 それもそのはず、この蕓術館は人民蕓術家といわれた畫家・黃冑が個人で作り上げた美術館です。館長は夫人の鄭聞慧さんです。鄭さんによれば、最初は、「華夏」とか「東方」とかいろいろ候補にあがりましたが、本人の名前も黃、そして中國人に親しみを與える炎をとり、いまの名稱になりました。

 さて、黃冑さんはどんな畫家だったのでしょう。1925年河北省の生まれ。鄭さんや家族によると、ロバをはじめ動物の絵を好み、水墨畫の技法で人物畫を描くのを得意としました。五四運動で破壊された中國畫の伝統を復活させた功労者でもあります。

 創作への態度は真剣そのもの。「人間は兄弟でも違いがあるもんだよ。牛も同じ。一頭一頭特徴があるんだから、力を込めて描かなくてはならない。足のひづめまでよく見るんだ」とそんな心得を語っていたそうです。

黃冑の作品
「談心図(毛主席と話す農民)1964年」

黃冑の作品
「育羔(子羊を飼う)1981年」

 蕓術家としてだけでなく、外交官の役割も任じ「自分の絵で世界の人に中國のことを伝えたい」といっていました。1984年、日本畫家の平山鬱夫氏の招きで日本での作品展も行っています。

 大展示ホールは、今年のエトに當たる豬、中國ではブタですが、その絵が32作品も並んでいました。ただ動物を描くだけでなく、農民と動物たちの觸れ合い、自然に立ち向かう姿など変化に富んだ表情が楽しめます。

 

 隣のホールは民俗畫。舊正月の時期らしく、各地方のお祭りに出てくる鐘馗(しょうき)様がたくさんいます。著物やひげを見ると地域によって違いがあることが分かりました。見比べてみると、なかなか面白いものです。

 館內を案內してくれながら、鄭さんは、「夫の伝統を伝えていきたい。若いころは西洋の音楽や絵畫がすばらしいと思っていた。でも、いまになってみると中國文化こそ寶物だね」と語っていました。(文:吉田明 寫真:斉鵬)

 所在地:北京市亜運村慧忠路9號

 電話:010ー64913171

 ホームページ:www.yanhuangyishuguan.com

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