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~別れを描く唐詩の世界~

2015-06-23 18:56:37     cri    


























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 美しくて神秘的な唐詩の世界。友人との別れを描くのが、大きなテーマの一つです。今日は、名作を紹介しながら、別れを描く唐詩の世界へとご案內いたします。

 文學作品では、別れって、非常に大きなテーマです。昔の知識人は、離別が人を一番悲しませることとして、別れの怨みをいつも作品に取り入れます。今日は、日本でもお馴染みの唐詩を例に、別れを描く唐詩の世界を模索してみます。

 唐詩には、山河の美を描くものや、人點の生活の苦しみを描くもの、不平不満を愚癡るものなど、様點なテーマがあります。その中では、別れを描く詩が重要な地位を佔めています。今でも人點に詠まれる詩には、別れをテーマにしたものが多いです。


 李白の詩を例に挙げましょう。


 黃鶴樓送孟浩然之広陵 (こうかくろうにてもうこうねんのこうりょうにゆくをおくる)

 李白

 故人西辭黃鶴樓,

 煙花三月下揚州。

 孤帆遠影碧空盡,

 唯見長江天際流。

 故人西のかた黃鶴樓を辭し、

 煙花三月揚州に下る。

 孤帆(こはん)の遠影碧空(へきくう)に盡き、

 唯見る長江の天際に流るを。


 (現代語訳)

 わが親しき友、孟浩然は、ここ西のかた黃鶴樓に別れをつげ、花さえもかすむうららかな三月、遠く揚州に下ってゆく。ぽつんと、ただ一つ遠ざかる帆影は、やがて碧空(おおぞら)のかなたに消えた。茫然と広がる視界のうちを、いまはただ長江の水だけが、遠く天空の果てへと流れつづける。

 詩の中に出ている李白が見送った友人の名前、孟浩然も有名な詩人です。李白は年上の孟浩然を詩業における先輩として大変尊敬していました。

 3月に、これは舊暦の事ですので、だいたい今の4月の中旬になると思いますが、友人の孟浩然を送るのに、黃鶴樓(湖北省の武漢にある)で、揚子江を東へ下った友人、孟浩然を見送った李白の姿が目に浮かびます。先輩に対する熱い思い、別れがたい気持ちで、船がどんどん遠ざかって行くのを、長い時間ずっと見守っていたんでしょうね。

 想像してみれば、二人は黃鶴樓で、恐らくお酒も飲んで、お別れ會をして、それから、孟浩然が船に乗って、出発していく。李白が黃鶴樓に登って、船が遠ざかり、どんどん小さくなり、見えなくなってしまうまで、じっと見守っていました。殘るは、長江が流れているだけ。さびしいでしょうね。

 花が咲き誇る春ですけれども、友人との別れを惜しむ寂しさ。春の華やかさ、溫かさとのコントラストで一層さびしくなりますね。

 では、もうひとつ別れを描く代表的な唐詩をご紹介しましょう。王維の詩です。《送元二使安西》「元二(ゲンジ)の安西(アンセイ)に使(ツカイ)するを送る」


 渭城朝雨浥輕塵,

 客舍青青柳色新。

 勸君更盡一杯酒,

 西出陽關無故人。

 渭城(いじょう)の朝雨(ちょうう)輕塵(けいじん)をうるおす

 客舎(かくしゃ)青青(せいせい)柳色新たなり

 君に勧む更に盡くせ一杯の酒を

 西のかた陽關を出(い)ずれば故人無からん


 (現代語訳)

 渭城の朝の雨が軽い砂埃を潤している、旅館の前の柳の葉色も雨に洗われて瑞點しい。君にすすめる。昨夜は大いに飲み明かしたが、ここでもう一杯飲んでくれ。西域地方との境である陽関を出れば、もう友人は一人もいないだろうから。

 王維の詩、「元二の安西に使するを送る」。別れをテーマにした數多くの唐詩の中でも、別れの歌といえば、これが定番の一つです。友人と別れを惜しむ気持ち、痛いほど読み取れますね。

 では、いくつか言葉を説明します。まず、渭城。これは地名です。現在の陝西省鹹陽市です。渭水という川を挾んで唐の都長安、つまり、今の西安と向かい合う街です。皆さんが、飛行機で西安を訪れる時に使う空港があるところです。長安の西にありますので、昔、長安から西に旅立つ人をここで見送る習慣があります。

 そして、もうひとつの地名ですが、陽関。これは、敦煌の西南約70キロにある天山南路の関所です。中國で地理的には、西の果てとなります。その先はひたすら砂漠です。私は実際、陽関の遺跡を一回通ったことがあります。お城の跡が何もない砂漠の中にあって、本當にさびしかったです。

 王維が送った友人、元二が向かうのは、安西、唐の時代に設置された安西都護府です。現在の新疆ウイグル自治區のトルファンにあります。昔の感覚では、長安の出発とは言えども、訪れる人が少ない少數民族の地に行くわけですから、長くてさびしい旅ですね。

 王維は親友として、わざわざ鹹陽に行って、元二を送りました。二人は同じ旅館に泊まって、酒を飲みながら、ずっと話をしていました。そして、朝になったら、別れなければならないのですが、まだ名殘惜しい。もういっぱいお酒を飲んでください。この先には、私のような友人はもういないでしょうから。

 しかも、朝起きたら、小雨が降っています。一層さびしさが増しますね。そんな雨で潤って、柳の緑色がますます鮮やかになっています。昔の中國人にとって、柳は「別れ」を想い起こさせるものです。柳の枝を折って、輪を作って、友人に送ります。柳の発音は、LIUです。これは、友人を留める、留と同じです。つまり、柳には別れの時に、とどめたい気持ちが結びつくのです。

 そして、輪にするのも意味があります。輪はHUANですね。「帰る」、返還の還と同じ発音です。つまり、今、あなたを留めたいのですが、仕方がなく留められません。でも、一旦仕事が終わったら、必ず早く帰ってきてくださいね。という意味です。

 柳の枝を輪にして送る、そして、酒を飲む、友人を送る。今なら、メールするね。またね!って感じでさらっとしてますけど、昔はとても趣がありましたね。

 この二つのほか、別れを表す歌を歌う習慣もあります。王維がこの有名な詩を書いた後に、唐の時代、友人を送るときに、この歌がよく歌われるようになったそうです。中國の名曲、「陽関三畳(ようかんさんじょう)」はこの詩の一部を繰り返して三回歌うものです。

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