「千里の馬は常に有れども伯楽は常には有らず」。才能を持つ人は認めてもらえなくても、平常心を持たなければなりません。認めてもらえない事のほうが普通だからです。でも、頑張ればいつか自分の能力を生かす場を見つけるかもしれません。そんな夢を持って前へ進みましょう。
3月は、日本では卒業のシーズンですね。卒業して、人生の次のステップへと進み、新しい人と出會います。このような時に、自分がこれまで積み上げた知識や経験を、これからの先生や上司に認めてほしいなぁなんて、思いますね。
しかし、こんな言い方があります。「千里の馬は常に有れども伯楽は常には有らず」。
千里の馬は、伝説で一日千里を走る名馬です。伯楽は、そんな名馬を普通の馬の中から識別できる人です。つまり、千里の馬は、才能のある人のたとえで、伯楽は、そんな人材を見抜いて登用するえらい人のたとえです。
これは、中國唐の時代の代表的な文學者、韓愈の文章から來ています。ご紹介しましょう。
世有伯樂,然後有千里馬。千里馬常有,而伯樂不常有。故雖有名馬,祗(zhǐ)辱于奴隸人之手,駢(pián)死於槽(cáo)櫪(lì)之間,不以千里稱也。
馬之千里者,一食(shi)或盡粟(sù)一石(dàn)。食(sì)馬者不知其能千里而食(sì)也。是馬也,雖有千里之能,食(shí)不飽,力不足,才美不外見(xiàn),且欲與常馬等不可得,安求其能千里也?
策之不以其道,食(sì)之不能盡其材,鳴之而不能通其意,執策而臨之,曰:"天下無馬!"嗚呼!其真無馬邪(yé)?其真不知馬也。
世間に馬の良し悪しをよく見抜く人がいてこそ、千里も走る名馬というものがありうるのである。名馬はいつでもいるけれど、それを見抜く人はいつもいるとは限らない。だから、たとえ名馬がいたとしても、見抜く人がいなければ、ただ下働きの者にこき使われ、飼い葉桶(おけ)の間に首を並べて死んでしまって、千里も走る名馬とはいわれないままで終わってしまう。
名馬に十分食べさせなければ、並の馬と同じになってしまうし、並の馬と同じように鞭を打ったり、食事させたりして、名馬を理解しないで、世の中には良い馬はいないなどと言っている。ああ、世の中にはほんとうに名馬がいないのか、それとも世の人が名馬を見分けられないのか。
この馬に関する論説文は、韓愈の「雑説」から來ています。この文章では、千里馬と伯楽の関係を論じています。先ほども説明したように、千里馬は、優れた才能を持つ人の例えです。伯楽は、そんな優れた人材を見抜いて登用する明君のたとえです。
中國の伝説では、はるか高い天上に住む神様の世界では、馬を管理する神様の名前が伯楽です。ですから、人間の世界でも、馬の良し悪しをよく見抜く事の出來る人を「伯楽」と呼びます。初めて伯楽と呼ばれた人は、本名が孫陽と言いう春秋時代の人です。
彼は楚の國王に頼まれ、一日に千里を走る駿馬を探していました。いくつかの國を周って探していましたが、なかなか意中の馬が見つかりません。ある日、孫陽は路上で塩運びをしている馬を見かけました。馬は重い馬車を引っ張って、一生懸命坂を登っているところです。しかし、孫陽を見たら、いきなり頭を挙げて、目を大きく見開いて、大きな聲で鳴きました。まるで孫陽に何かを告げているかのようです。孫陽はその鳴き聲から、これは得がたい駿馬であると判斷しました。
すると、孫陽は飼い主に、「この馬は戦場で走れば、どんな馬も追い付かない。しかし、馬車を引かせるなら、普通の馬にも負けてしまう。だから、私に売ってくれ!」と頼みました。
そのご主人は孫陽がバカだと思いました。彼にとって、その馬は普通の馬にも及びません。いっぱい食べるだけで、あまり力もないし、まったくためらわずに売ってあげました。
孫陽はこの馬を楚の國王に獻上しました。楚の國王は最初にその痩せた馬を見た時、千里を走れるとは信じませんでした。孫陽の話を聞いて、馬をよく飼育すると、數ヵ月後になんと千里馬の本來の姿を取り戻したのです。その後、千里馬は楚の國王を載せて戦場で戦い、大きな手柄をとったそうです。
その後、馬の鑑定人は伯楽と呼ばれるようになりました。そして、韓愈の文章が出た後、優れた人材を見抜く人も、「伯楽」と呼ばれるようになりました。
韓愈から見れば、優れた才能を持つ人材はいつでもいますが、それを見抜く人がなかなか少ない。確かに正しいことを言っていますが、自分自身を千里馬に例えて、自分の才能を認めない上流社會人への愚癡をこぼしているようでもありますね。
韓愈の一生は、文學者・思想家としては、「唐宋八大家」の第一人者に數えられるほど、大きな成功を遂げました。しかし、出世の道では、科挙試験で失敗したり、左遷したりして、順調ではありませんでした。おそらくこの文章を通じて、私のような才能が優れた人が、何故なかなか上流社會に認めてもらえないだろうと、いう気持ちを訴えているのかもしれません。
後世の私たちから客観的に評価しますと、韓愈は間違いなく、千里を走る「馬」でした。皇帝を代表とする當時の上流社會に認められなかったかもしれませんが、多くの作品を殘し、多大な影響力を持つという點から、一時的な大きな権力を持っていた官僚よりも、大きな成功を収めた人でした。権力階層に認められなかった千里の馬が、もっと人數の多いほかの場所で認められたわけですね。
先ほどの孫陽の故事でも、同じことを言っています。千里の馬は、塩を運ぶ時には、その足の長所をなかなか発揮できません。逆に、あまり働かないのに、いっぱい食べるので、飼い主に嫌われていました。つまり、千里の馬でも、力仕事には弱いという短所があります。だから、伯楽に認められ、自分の能力を一番生かせる仕事の場に著くというのが難しいんですね。
ですから、完璧ではない私たちも、自分が重視されていない、などと思うことがあるかもしれません。そもそも「伯楽」、人を見る目のある人は、あまり現れません。
いつか自分が起用されるかもしれない、伯楽が現れるかもしれないと夢を持ってもかまいませんが、夢が実現できない、伯楽が現れない可能性のほうがよっぽど大きいということも、この話からを受け止めなければ成りません。
伯楽がなかなか現れないのは、千里馬自身にも訳があります。この文章で示しているように、千里馬は一食で、一石の食糧を食べるんです。普通の馬より、食べる量がずっと多いんです。つまり、人材に例えると、いい人材はいつも高い地位や報酬を求めるんです。
しかし、馬を飼う普通の下働きの者や、塩運びの主人などは、千里馬を見抜く力がありませんので、結局、千里馬にも普通の馬と同じ量のえさをやります。それらの人は、つまり、人材を見抜く力のない小役人です。そんな職場にいると、自分の力を発揮する場がないだけでなく、いい報酬ももらえません。
千里馬、人材にとっては、自分の才能を生かすことのできる場を探すことが重要です。一方、人材を求める上司にとっては、仕事に対していい條件を提供し、その才能を生かすことが大切ですね。
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