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<科學衛生>中國千年の學府、岳麓書院

2011-02-21 10:04:29     cri    

 中國南の湖南省長沙市に湖と山に囲まれた古代建築群があります。ここは1000年の歴史を持つ古い大學岳麓書院です。岳麓書院は創設されてから、今日まで、すでに、いく世代にも渡って中國のために優れた人材を育成してきました。その開放的な教育方針は中國の教育に深い影響を與えてきたのです。

 岳麓學院という名前は風景が美しい岳麓山のふもとに位置していることに由來して、その歴史は1000年余り前の北宋の時代までにさかのぼります。當時各勢力の分割と拡張などが収まり、國家政治は安定し、文化教育の繁栄にはよい條件となりました。また、當時の岳麓山は仏教や道教の聖地で、寺院が林立していました。そして人點の學習への願いも非常に強いものだったのです。靜寂な岳麓山は読書や學習のよい場所となりました。やがて大勢の文化人や學者がここに居住するようになったため、寺院の中の學院には人點を収容しきれなくなりました。そこで、一部の僧侶が寺院の外に學院を設け、図書を買い入れ、人點に読書の場所を提供しました。こうして初期の書院が誕生したのです。

 紀元976年、當時の潭州(現在:長沙)郡の長官だった朱洞太守は僧侶たちの作った學堂を書院に拡張し、その管理権を僧侶から文人へと移しました。それから、岳麓書院が正式に設立し、一定の規模を持つ文化教育の基地となりました。1015年、創設されてからわずか40年で、岳麓書院は教育の面ですぐれた成果を上げたため、當時の皇帝の表彰を受け、一挙に有名になりました。これについて湖南大學岳麓書院の鄧洪波教授は「11世紀の初期、岳麓書院は學術講演や祭祀、蔵書、(學校を維持するための官田)學田という4つの基本的な規制を一體化した學院となりました。宋の時代の宋真宗皇帝は都の開封で岳麓書院の學長に一枚の額を賜り、表彰しました。それから、岳麓書院は當時の有名な4大學院の一位となったのです」と語りました。

 その後も、岳麓書院は數回にわたって皇帝から表彰を受けました。これは教師を尊重し、教育を重視する當時の中國では、きわめて高い栄譽と言えます。このほか、歴代の役人や富裕層を始め、一般庶民も岳麓書院のために農地の購入に力を貸したり、校舎の建築やお寄付をしたりしました。また、政府や民間からの支援のほか、書院は自給自足の経済システムを確立し、書院の農地を農民に貸し出して、収益を獲得し、教育費にあていました。これについて、鄧洪波教授は「當時、商品経済は発達していませんでしたので、教育経費は主に農地の貸し出しによって確保されていました。書院は設立された當初、政府に水田を賜ったので、大部分の経費は解決され、書院を1000年も維持できたのです」と語りました。

 1926年、岳麓書院は正式に湖南大學に名稱を変更し、新中國成立後、毛沢東主席が學校のために校名を書きました。現在、學校には200人の教師と學生が在籍しており、中國の伝統文化の研究を主として、歴史や哲學の學科が設けられています。また、岳麓書院は中國人のほか海外からの留學生にも注目されています。(董燕華)

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