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~兵法三十六計の美人計~

2013-03-18 13:43:38     cri    


























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 中國の兵法書、「兵法三十六計」、最もやさしく人を落とす方法、美人計。そんなやさしくて殘酷な美人計を用いた中國古代の故事をお屆けします。

 実は「三十六計」は、書物としてはいつ出來たか分かりません。言葉としては南北朝の時代に生まれましたが、書物として、明や清の時代にまとめられたものだと言われています。

 「三十六計」、計は計略です。つまり、三十六の兵法計略が取り上げられているわけです。兵法における戦術を6段階の36通りに分けてまとめたものです。本の中には、様點な時代の故事がちりばめられ、「孫子」よりも民間で幅広く流用されています。

 三十六計は戦(いくさ)の進行情況によって、6段階に分けられています。段階ごとに、それぞれ6計が紹介されています。

 たとえば、戦いの主導権を握っている時にどんな戦術を使うべきか?そのような主導権を握っている時の戦術は、勝戦計といいます。具體的には、瞞天過海(敵に繰り返し行動を見せつけて見慣れさせておき、油斷を誘って攻撃する)、囲魏救趙(敵を一箇所に集中させず、奔走させて疲れさせてから撃破する)、借刀殺人(同盟者や第三者が敵を攻撃するよう仕向ける)、以逸待労(直ちに戦闘するのではなく、敵を撹亂して主導権を握り、敵の疲弊を誘う)、趁火打劫( 敵の被害や混亂に乗じて行動し、利益を得る)、聲東撃西(陽動によって敵の動きを翻弄し、防備を崩してから攻める)といった戦術があります。

 このように、自分側が優位性を持った時の戦術、相手がかなり手ごわい場合の作戦、ひいては、自分側が圧倒的に弱い場合に用いる奇策があります。三十六計は戦爭だけではなく、ビジネスや普段の生活にも応用できます。

 今日は、一番分かりやすい美人計をご紹介します。土地や金銀ではなく、美女を獻上して敵の力をくじく戦術です。兵法三十六計の第三十一計に當たる戦術です。これはつまり自國が圧倒的劣勢の場合に用いる奇策の一つです。自國が弱い立場の時、勢いのある相手と正面からぶつかり合うのは、滅亡を招くことになりますから、それは、おろかな策略です。

 相手の勢力が強すぎて、どうしても勝てない時に、一時的に屈服したほうがいいかもしれません。屈服すると、何かを獻上しなければなりません。要は、何を獻上するか?土地を獻上すれば、相手の勢力が一層強くなります。これは中國の戦國時代に弱くて小さな國が秦に服屬した時と同じようなことになってしまいます。秦は土地をもらったので、國力がどんどん大きくなり、最終的に他の國を滅ぼし、中國を統一しました。また、金銀財寶を獻上しても、相手國がどんどん貪欲になり、自分にとって、あまりいい結果になりません。

 やはり美人を獻上して、敵將を溺れさせれば、敵將の野心や攻撃心をくじくことができます。そして、土地や財寶と違うのは、敵の末端の兵士は報酬を得られないので、主君を恨むようになるということです。

 まさに一番コストの低い策略ですね。中國の春秋時代の末期に、越が呉に滅ぼされそうになった時、越は呉王に美女西施を送り、やがて逆に呉を滅ぼしてしまったという故事がありますが、今日は、もうひとつの有名の故事を紹介したいと思います。

 日本の皆さんにとってもおなじみの中國の歴史小説、「三國志演義」に登場した美しい女性、貂嬋(ちょうせん)にまつわる故事です。貂嬋も西施と並び、古代中國四大美人の一人です。

 漢の末期、獻帝は9歳で皇帝になります。この時、董卓が朝廷を牛耳り、暴虐を盡くしていました。大臣たちは董卓を恨みながらも怖がっています。

 王允(おういん)は董卓を殺さなければ朝廷が危ないと思いました。しかし、董卓の勢力が強く、正面から叩くと失敗するに違いありません。そして、董卓には呂布(りょふ)という勇猛な養子がいて、董卓を厳重に警護しています。この親子二人には好色という共通の弱點があります。すると、王允は自分の養女、貂嬋を使い、董卓と呂布を仲たがいさせる計畫を立てました。

 王允はまず個人的な酒宴で呂布に貂嬋を紹介し、呂布と結婚させることを承諾しました。呂布はその絶世の美貌に惚れ、王允に大変感謝しました。

 しかし、翌日、王允はまた自宅で董卓を招待し、貂嬋を呼び出して踴りをさせました。董卓は貂嬋を見ると、とてもほしがりました。王允は「太師のお気に召すならば、この子を送る」と話しました。董卓は喜んで美人を連れ帰りました。

 呂布はそれを知って、大変怒りました。王允に詰問すると、王允は「太師が息子の嫁を見ようといったので、それに逆らえない。太師が今日が吉日といって、將軍のあなたと結婚させようと、お宅に連れ帰りました」と言いました。

 呂布はそれを信じ込み、養父の董卓が彼のための結婚式を挙げることを待っていました。しかし、數日立ってもなかなかその気配がありません。ちょっと尋ねてみると、董卓はすでに貂嬋を自分のものにしていました。

 ある日、董卓は朝廷に行きました。ふと振り返ると、いつも自分の身近で警護している呂布の姿がありません。疑問に思った董卓は自宅に戻ると、呂布と貂嬋が密會していることを目撃しました。董卓は大変怒り、武器で呂布を刺しましたが、當たりませんでした。呂布もかんかんに怒り、家を出ていきました。

 このすべてを企んでいた王允は時機が來たぞと思い、呂布と密談しました。王允は貂嬋を奪った董卓を大聲で罵りました。呂布も歯軋りをし、「親子じゃなければ殺してやりたい」と話しました。

 これを聞いて、王允は「將軍は間違っている。あなたの苗字は呂で、彼は董だから、親子じゃない。ましてや、あなたの妻となる女性を奪い取り、武器1であなたを刺し、親子の情などまったく考えていない」とそそのかしました。呂布は「注意してくれて、ありがとう!やつを絶対に殺してやる!」と誓いました。

 呂布が決心したのを見て、王允は皇帝の名義を偽り、董卓を皇宮に招きました。王允と結託した呂布はその場で、董卓を殺害しました。

 これは「三國志演義」に出た一節です。実は、この故事では、王允が用いた計略は、美人計だけではありません。

 董卓と呂布、親子2人の間に貂嬋をおいたことは、美人計ですね。さらに、貂嬋をめぐる両者の感情を利用して、2人の関係に弱點を使ったのも、計略の一つです。それは離間の計といいます。

 今、戦場だけではなく、商戦などにも、こういった戦術がよく用いられますので、くれぐれもご用心ください。

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