北京
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北宋時代の東京(とうけい)城州橋遺跡における考古學成果が28日に発表されました。さまざまな時期の遺跡が発見されたことから、中國中部の河南省開封市で「街の中に街」という特殊な狀況が存在したことが確認されたとのことです。
州橋遺跡の発掘現場
州橋は、北宋時代に東京城の皇帝専用の通路だった禦街と汴河の交差點にあるシンボリックな建物でした。創建は唐代で、明代末期に黃河の氾濫のため、埋まってしまいました。河南省文物考古研究院などの機関は2018年に河南省開封市鼓樓區にある州橋遺跡と汴河遺跡での発掘作業を始めました。
出土した文化財
2カ所合計で4400平方メートルの範囲を対象にした発掘作業は2022年9月まで実施され、さまざまな時期の川筋や水利施設、橋梁など各種遺跡117カ所が発見されました。磁、陶、玉、金、銀、銅、鉄、骨を素材にした文化財は6萬點以上が出土しました。
石壁にある浮き彫り
また、唐と宋の時代に汴河の南北両岸の堤防、明の時代の州橋などが発見され、例えば宋代の堤防には壁に霊獣と瑞雲模様の浮き彫りが施されていたことが判明しました。
磁器
州橋と汴河の遺跡は唐・宋代から明・清代までの、開封市の歴史的な変遷を示すものであり、開封市の中軸線が1000年以上も変わらなかった事実などが証明されました。遺跡は都市における中華文明の発展プロセスや黃河文化の保護と伝承、大運河文化帯建設の促進ついて大きな意義を持つものです。(殷、鈴木)