「名譽市民が語る大連」シリーズ記事。今回ご紹介するのは、日本石川県日中友好協會の古賀克己名譽會長。
中日両國間の60件の提攜協議の締結を促進、大連の日本語教師向けの日本文化研修プログラムを自費で支援、民間人として政府に提案した友好都市間の交流事業が採用され、日本で「中國大連館」を開設…。これらをすべてを85歳の日本の高齢者が26年をかけて成し遂げたとはなかなか想像できないだろう。この尊敬すべき方は石川県日中友好協會名譽會長の古賀克己氏である。
2007年、古賀克己氏は「大連市栄譽市民」の稱號を授與された。
古賀克己氏の近影 撮影:黃非
見知らぬ都市から愛著のある都市へ 26年にわたる友情
古賀氏と大連は偶然のできごとで縁が結ばれた。1998年8月12日、古賀氏は當時日本で研修中の2人の醫學博士の招待を受けて大連を訪ねた。古賀氏は、「初めて大連に來たとき、とても活気あふれる都市だと感じました」と大連に対する第一印象を語った。
訪問中、古賀氏は當時の大連市人民代表大會常務委員會副主任兼大連大學黨委員會書記・學長であった趙亜平氏に出會った。翌年、古賀氏は石川県金沢市で趙亜平氏率いる代表団一行を接待した。古賀氏は、「初めての中國の政府関係者との面會で、彼らの都市の発展に向けた取組に対する努力と熱意に心を打たれました」と振り返った。
3年目以降、古賀氏と大連との交流が頻繁に行われるようになった。ほぼ毎月大連を訪れ、そのたびに教育界や経済界の代表団を率いて案內し、交流の內容も教育分野から経済社會の各分野にまで広がっていった。
さらに、古賀氏は日本海國際交流センターを設立し、自腹を切って大連大學の日本語教師の日本研修費用を賄った。これまでに、日本海國際交流センターは、計130人の日本語教師を受け入れ、家屋の購入と內裝に2億円以上の資金を使用し、無料で中國人教師に提供し、さらに彼らの日本滯在中のスケジュールの手配と研修費用を負擔した。
古賀克己氏の日本での講座「私の中國観」 寫真提供:本人
愛著のある都市から愛する都市へ 「大連は私の第2の心のふるさと」
「教育面での交流を続けていきたい」との想いから、古賀氏はこれまで、大連市の10校以上の大學と日本石川県の各大學との學術交流協定の締結、150人以上の學生の日本への留學実現、北陸先端科學技術大學院大學の博士課程への大連工業大學の教師・學生40人以上の受け入れ、大連大學と大連工業大學への日本語図書4000冊以上の寄贈および金沢文庫の設置を行ったほか、大連市內の大學に「日本語教師研究賞」、「日本語教師研修基金」を設立し、大連市と金沢市に「大連・金沢教育交流基金」を設立し、大連市內の大學で講演を行い、中國人教師の研究成果を書籍化し、出版を支援した。
さらに古賀氏は日本で「中國大連館」を開設し、中日友好交流展を常設展として設置し、『こんにちは!大連』三部作も出版した。
古賀克己氏が日本の金沢市で「中國大連館」を設立 寫真提供:本人
民間交流だけでなく、古賀氏は都市間交流も積極的に推進している。民間人として友好都市間の交流事業を政府に提案したことにより、大連市と金沢市は2006年に「友好交流都市」提攜を結び、旅順口區と石川県內灘町は「友好交流區域」提攜を結んだ。
1998年から現在まで大連を計187回訪問した古賀氏は、「大連は私の第2の心のふるさとになっています。最初は大連人とは友人として接してきましたが、今では大連人は私にとって家族のような存在です」と述懐する。
大連の飛躍的な発展を26年にわたって見屆けてきた古賀氏は、「毎月新しい変化が起きています。ここに來るたびに、大連市が日進月歩で変貌していることを感じるとともに、中國の急速な発展も感じています」と語った。
また古賀氏は、「発展の裏には大連の人點の努力があります。一人ひとりが前向きに生活し、都市の発展のために努力しています。このようなチャレンジ精神に深く感心しました。そして、大連の人點と結んだ友情も忘れることはありません。26年間、大連と日本との友好関係を推進し続けた原動力はそこにあります」と述べた。
(情報提供:黃非)
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